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Title:[日本軍] 二式複座戦闘機"屠龍" WW2 Japanese Kawasaki Ki-45"Nick"
Duration:02:25
Viewed:6,736
Published:25-09-2019
Source:Youtube

日本ニュースより、大日本帝国陸軍で使用されていた、二式複座戦闘機"屠龍"、連合軍側コードネーム"Nick(ニック)"の訓練・実戦映像を抜粋しました。  二式複座戦闘機は当初、爆撃機の護衛という遠距離戦闘機的な運用がなされた。1942年6月、中国大陸の広東方面において爆撃隊の護衛として桂林攻撃に参加、アメリカ陸軍義勇航空隊(AVG)「フライング・タイガース」のP-40B/C トマホークと対戦したが、この戦いで二式複戦は惨敗を喫した。同年9月、ハノイにおいてもP-40E キティホークと戦って敗れた。これらの事実は、二式複戦が単発戦闘機とまともに戦えないということを示していた。他国においても類似した例は散見されている。  二式複戦はあらゆる戦域の部隊に配備され、進攻戦のみならず迎撃戦や船団護衛など多くの任務に用いられたが、二式複戦を配備された戦闘隊では本機の評判は芳しくなかった。最大速度はカタログ上の数値で540km/hに過ぎず、運動性は単発単座機である一式戦闘機「隼」や二式単戦「鍾馗」に著しく劣った。大型機迎撃に威力を発揮したものの、護衛の戦闘機が随伴してくる場合にはこれに撃墜されることも多かった。二式複戦を配備された部隊の中には、機材の消耗に伴い一式戦や二式単戦に機種変更する部隊もあった。  一方、九九式双発軽爆撃機に換わって軽爆隊に配備され、軽爆撃機として対地対艦攻撃に使用された二式複戦の評判は上々であった。対地、対艦用にホ203(37mm機関砲)1門を装備した丙型(キ45改丙)を受領した一部の部隊では二式双発襲撃機とも呼ばれた。  二式複戦が最もその威力を発揮したといえるのが、本土防空戦におけるB-29迎撃任務だった。本土空襲が1944年6月に開始されると、二式複戦を装備する飛行第4戦隊や飛行第5戦隊、飛行第53戦隊といった部隊が戦果を挙げた。第12飛行師団隷下の第4戦隊は、日本の鉄鋼生産業の心臓部でもある北九州の八幡製鉄所を防空地区としていたこともあり、西部軍管区司令部直轄の来襲機情報の早期伝達、完全に整備された無線電話の積極的な活用、地上の戦隊長による戦隊指揮所から無線電話を利用しての部隊指揮、地上部隊(高射砲・照空灯)との緊密な協同戦、特に錬度の高い操縦者で構成されるなど、対B-29の本土防空部隊としては日本一の精鋭部隊とも称された。それらの準備は実戦においても生かされ、B-29の日本本土初爆撃(八幡空襲)となった1944年6月15日から迎撃戦に参加し、最多B-29撃墜王となった樫出勇大尉(B-29の26機撃墜を報告)を筆頭に多くのエース・パイロットを輩出し、以降終戦に至るまで連日出撃した。(Wikiより抜粋)



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